2010年 09月 03日
[日本建築のキーパーソン] |
●聖徳太子(574-622)…それまでに神道に代わり、伝来間もない仏教で国を統治しようともくろみ、百済国(朝鮮半島)から工人を招いて、当時最新の寺院建築技術を日本のもたらした。
●重源(1121-1206)…宋(中国)の建築技術を日本にもたらす。東大寺の再建に生涯を費やす。
●夢窓疎石(1275-1351)…政治的手腕に優れると共に作庭の名人。
足利義政(1436-1490)…パトロン的役割を担う。庭師の善阿弥や狩野派の絵師、能役者の音阿弥らを召抱え、東山殿(のちの銀閣寺)を築いた。
●千利休(1522-1591)…茶室の空間性を創造。書院座敷の概念を壊し、縁側をなくして土間から直接入る様式を確立。にじり口、2畳の待庵など無駄を排除したミニマリズム。建築、インテリア、茶道具すべてに美意識を行き渡らせた。
●豊臣秀吉(1536-1598)…多くの地方都市で城郭を築き、都市計画にも着手。千利休を重用して茶室の発展に寄与。西洋建築の構造、様式を取り入れ書院造の様式を発展させる。
●古田織部(1544-1615)…千利休の弟子。歪んだ沓茶碗や焼きそこないの器を好むなど自由奔放な美意識は安土桃山時代の流行となった。「織部好み」
●八条宮智仁親王(1579-1629)…桂離宮を造営。
●小堀遠州(1579-1647)…古田織部の弟子。均整のとれた造形と洗練された装飾を好む。「綺麗さび」
●後水尾天皇ごみずのおてんのう(1596-1680)…比叡山近くの修学院離宮を建立。
●狩野探幽(1602-1674)…江戸時代の狩野派を代表する絵師。狩野派とは室町中期から江戸末期まで約400年中心であった専門画家集団。
●重源(1121-1206)…宋(中国)の建築技術を日本にもたらす。東大寺の再建に生涯を費やす。
●夢窓疎石(1275-1351)…政治的手腕に優れると共に作庭の名人。
足利義政(1436-1490)…パトロン的役割を担う。庭師の善阿弥や狩野派の絵師、能役者の音阿弥らを召抱え、東山殿(のちの銀閣寺)を築いた。
●千利休(1522-1591)…茶室の空間性を創造。書院座敷の概念を壊し、縁側をなくして土間から直接入る様式を確立。にじり口、2畳の待庵など無駄を排除したミニマリズム。建築、インテリア、茶道具すべてに美意識を行き渡らせた。
●豊臣秀吉(1536-1598)…多くの地方都市で城郭を築き、都市計画にも着手。千利休を重用して茶室の発展に寄与。西洋建築の構造、様式を取り入れ書院造の様式を発展させる。
●古田織部(1544-1615)…千利休の弟子。歪んだ沓茶碗や焼きそこないの器を好むなど自由奔放な美意識は安土桃山時代の流行となった。「織部好み」
●八条宮智仁親王(1579-1629)…桂離宮を造営。
●小堀遠州(1579-1647)…古田織部の弟子。均整のとれた造形と洗練された装飾を好む。「綺麗さび」
●後水尾天皇ごみずのおてんのう(1596-1680)…比叡山近くの修学院離宮を建立。
●狩野探幽(1602-1674)…江戸時代の狩野派を代表する絵師。狩野派とは室町中期から江戸末期まで約400年中心であった専門画家集団。
by tawashix
| 2010-09-03 15:54
| 建築